悲しいお知らせ
相生市在住の詩人・高須 剛さんが亡くなられました。
私たちにとっては「高須先生」です。
≪UNI≫が相生で公演をするようになってから
ずっとお世話になってきました。
2003年8月
初めての朗読会を試演朗読会という形で
エミーホールでさせてもらった時
先生の書かれた詩も朗読させていただきました。
相生湾のエピソードの時に
『夜中に父はヴァイオリンを弾いた』より
「夕凪」を一兄が読みました。
とても喜んでくださって、
終わってからたくさんお話をしました。
全然まだまだなんだけど、
その心意気を褒めてくださいました。
そして先生の詩集をたくさんくださいました。
いつかこれを使って朗読会をさせていただきたいと
ずっと思ってきました。
後日お会いした時に
先生の書かれたヒロシマに関する当時未発表の詩を二編渡されました。
≪UNI≫の朗読会で使っても良いとのことでした。
その時何かものすごいものを託されたと思いました。
私たちが、偶然だったのか必然だったのか
戦争に関する作品を集めた朗読会を企画し、
一番近いという理由で広島に研修に行き、
上演した試演朗読会でした。
「戦争モノはちょっと・・・」
と思われる方もあった中で
高須先生の存在はとても大きなものでした。
その二編の詩は試演朗読会~報告~で読ませていただきました。
前回もそうでしたが、
ご本人を前にして読むのはとても緊張するものでした。
2007年5月
試演朗読会Ⅲ『サク華 散ル華 残ル華』
『智恵子抄』を中心とした高村光太郎作品を読むために
高村光太郎についての勉強会をお願いしました。
それまでに私自身が相生市内のエミーホールでの
【詩の遊歩道】というグループで多くの詩人のレクチャーを受けていたからです。
石垣りん、吉原幸子、新川和江、茨木のり子、
長田弘、川崎洋などなど
合唱をしていたお陰で知ってる詩人さんもありましたが
ほとんどが知らない詩人さんで
ほんとに毎回勉強になりました。
≪UNI≫メンバーでの勉強会当日もそうでしたが、
その前に先生のアトリエで
あつみ、MR、私の三人でお聞きしたお話もとても面白かったです。
そして高村光太郎という人に対する見方が変わったのもこの時でした。
今日、お通夜の席でいろんなことを思い出していました。
そして【詩の遊歩道】のメンバーの方たちとお会いすると
余計に悲しくなってきました。
遺影のお写真がとてもステキでした。
もっといろんなことをお聞きしておけばよかったと
後悔ばかりしていました。
でも先生の思いは多くの作品の中に残されています。
それらを読み解いていくことで
また先生と出会えるのだと思います。
私が一番好きな作品「鴎」
降りられる場所もなく、飛び続ける鴎
なぜだか涙が止まらなくなり、
グループの皆さんの前で泣いてしまった作品です。
高須先生のご冥福をお祈りいたします。
そして本当にありがとうございました。
土曜日に訃報を聞き、葬儀まで日にちがあったので
とりあえず皆勤橋へ行きました。
先生の詩が飾られています。
神戸新聞に皆勤橋についての記事があります。
高須先生のお話もありますので是非 ⇒ 【皆勤橋 記憶を歩く】
=支部長=
私たちにとっては「高須先生」です。
≪UNI≫が相生で公演をするようになってから
ずっとお世話になってきました。
2003年8月
初めての朗読会を試演朗読会という形で
エミーホールでさせてもらった時
先生の書かれた詩も朗読させていただきました。
相生湾のエピソードの時に
『夜中に父はヴァイオリンを弾いた』より
「夕凪」を一兄が読みました。
とても喜んでくださって、
終わってからたくさんお話をしました。
全然まだまだなんだけど、
その心意気を褒めてくださいました。
そして先生の詩集をたくさんくださいました。
いつかこれを使って朗読会をさせていただきたいと
ずっと思ってきました。
後日お会いした時に
先生の書かれたヒロシマに関する当時未発表の詩を二編渡されました。
≪UNI≫の朗読会で使っても良いとのことでした。
その時何かものすごいものを託されたと思いました。
私たちが、偶然だったのか必然だったのか
戦争に関する作品を集めた朗読会を企画し、
一番近いという理由で広島に研修に行き、
上演した試演朗読会でした。
「戦争モノはちょっと・・・」
と思われる方もあった中で
高須先生の存在はとても大きなものでした。
その二編の詩は試演朗読会~報告~で読ませていただきました。
前回もそうでしたが、
ご本人を前にして読むのはとても緊張するものでした。
2007年5月
試演朗読会Ⅲ『サク華 散ル華 残ル華』
『智恵子抄』を中心とした高村光太郎作品を読むために
高村光太郎についての勉強会をお願いしました。
それまでに私自身が相生市内のエミーホールでの
【詩の遊歩道】というグループで多くの詩人のレクチャーを受けていたからです。
石垣りん、吉原幸子、新川和江、茨木のり子、
長田弘、川崎洋などなど
合唱をしていたお陰で知ってる詩人さんもありましたが
ほとんどが知らない詩人さんで
ほんとに毎回勉強になりました。
≪UNI≫メンバーでの勉強会当日もそうでしたが、
その前に先生のアトリエで
あつみ、MR、私の三人でお聞きしたお話もとても面白かったです。
そして高村光太郎という人に対する見方が変わったのもこの時でした。
今日、お通夜の席でいろんなことを思い出していました。
そして【詩の遊歩道】のメンバーの方たちとお会いすると
余計に悲しくなってきました。
遺影のお写真がとてもステキでした。
もっといろんなことをお聞きしておけばよかったと
後悔ばかりしていました。
でも先生の思いは多くの作品の中に残されています。
それらを読み解いていくことで
また先生と出会えるのだと思います。
私が一番好きな作品「鴎」
降りられる場所もなく、飛び続ける鴎
なぜだか涙が止まらなくなり、
グループの皆さんの前で泣いてしまった作品です。
高須先生のご冥福をお祈りいたします。
そして本当にありがとうございました。
土曜日に訃報を聞き、葬儀まで日にちがあったので
とりあえず皆勤橋へ行きました。
先生の詩が飾られています。
神戸新聞に皆勤橋についての記事があります。
高須先生のお話もありますので是非 ⇒ 【皆勤橋 記憶を歩く】
=支部長=
Posted by うにっ。 at
◆2010年08月25日02:56
│徒然の…
この記事へのコメント
はじめまして。最近になって自身のブログで高須剛さんのことに少し触れた記事を書いたことをキッカケに、調べてみようと思い、ここにたどり着き、恥ずかしながら貴劇団についてもはじめて知りました。
2010年にお亡くなりになられたのですね・・、とても残念です。直接お会いしたことはありませんでしたが、私もまだ若かりし20数年前、自作(手作り)の21片の詩集に対して真摯なお返事をいただいたことがありました。
↓もしよければのぞいてみてください。
http://stressful.jugem.jp/?eid=61
2010年にお亡くなりになられたのですね・・、とても残念です。直接お会いしたことはありませんでしたが、私もまだ若かりし20数年前、自作(手作り)の21片の詩集に対して真摯なお返事をいただいたことがありました。
↓もしよければのぞいてみてください。
http://stressful.jugem.jp/?eid=61
Posted by Ichibo_ at 2014年08月18日 21:15
>Ichibo_さん
はじめまして。
高須先生とそんな思い出がおありなんですね。
そんな方と出会えただけでもこのブログやっていてよかったと思います。
機会があれば・・・というか必ず、先生の詩集を使って朗読会をしますのでその時は是非聴きにいらしてくださいね。
はじめまして。
高須先生とそんな思い出がおありなんですね。
そんな方と出会えただけでもこのブログやっていてよかったと思います。
機会があれば・・・というか必ず、先生の詩集を使って朗読会をしますのでその時は是非聴きにいらしてくださいね。
Posted by 支部長 at 2014年08月22日 00:10